英語科教員研修会
第三回 中高6 年間を見通した指導と評価の構造改革 -「ことば」として英語を教えるために -
質問1
大変面白いお話をありがとうございました。立教大学院の博士課程3年のMと申します。昼間は、中高で教えています。先ほど最後に、暗唱させることをなさっているということでした。それで、その評価は、生徒同士の評価に取り入れていらっしゃったんでしょうか。私はちょっと共同のと考えているんですね。生徒同士でという。評価は教師だけがするのか、生徒 同士でやらせることもおありなのか、そのへんのお考えをお聞かせください。
回答1
成績そのものに関係するのは、教師がするんです。ただ、たとえば、スピーチなんかやったときに大衆賞ってつくるんですね。私はベストスピーカーはこれだと思うと言って、違う人を載せたりするんですよ。きみたちが選ぶベストスピーカーは誰だというと、教師と違った目で、こいつの中身が面白かったとか、こいつのプレゼンのときのプロップが面白かったとか いうのを選んだりするので、そういうことをやるのが一つのテストみたいなもの。
あとはやはり、授業の雰囲気づくりというのをすごく大事にしていて、授業の場というのは、基本的には、みんなで頑張って上手になろうという雰囲気にしたいので、そういった雰囲気を強めてくれるような生徒の発言や行動を、みんなが「いいね」「そうだよね」って支援できるようなかたちに、こっちが持っていく。例えば、そういうことをやってくれそうな子に発表させて、「どうだ、おまえは」「いいと思います」「じゃあ、おまえもやってみろよ」というような感じで進めます。
逆に、ふざけようとか、いいかげんにやろうとする雰囲気の子は、なんとか集団に巻き込まれるようにします。私は、個々というよりは、やはり集団を考えていて、集団のダイナミズムってあるはずだと思うんですよ。仲間から学べるだとか、仲間の刺激が。だから、仲間から、「おお、すげえ。俺もああいうふうになりたいや」と思われるように頑張った子を、みん なが「いいね」って評価できるようなことを、ちょこっとやっているぐらいですか。あくまでも頑張るぞという雰囲気づくりです。
1回だけすごく印象的なことがあったんです。暗唱テストを始めたころ、私に反抗している生徒がいたんですよ。「こんなことをやっても意味ねえよ」とか言って。試験をやることに関して、私が、「これは落とすための試験じゃない。みんな上手になってほしいから、クライテリアも言うからね」と言って、「LとRの区別じゃなくて、区切りと抑揚、強弱を重視し ますよ」と言ったら、彼が、「そんなんじゃ、みんなできちゃうじゃない。意味ねえ、むだだよな」。これを聞いて、きびしく咎めて泣かしたりしましたが、ばかだったなあと思います。
その子はみんなに、「こんなのちゃんとやるのやめようぜ。みんなでカタカナごっこやっちゃおうぜ」と言って、彼はみんながやると思ったんですね。彼はカタカナをやりました。しかし、みんなはやらなかったんですよ。まじめにやったんです。終わったあと、彼はやはり血相を変えて、「先生、もう1回やらせてもらえますか」と来たんです。そのあと、もうやらないねと言ったら、次からちゃんとやってくれるようになりました。やはり、そういう厳しさも必要です。だから、よく若い先生なんかに申しあげるんだけど、やはりクラスコントロールとか、クラスマネジメントが効いているかどうかというのはすごく大事で、しょせん1対40 という集団ですから、全員が悪意を持ってそっぽを向いたら、授業なんか一発で壊れるんです。一人でコントロールが効く状況になっているかどうかというのがポイントで、そういう雰囲気に持っていけるような、前向きにこっちを向いてくれている子というのを一生懸命持ち上げる。
クラスのなかの価値判断として、こういう練習しているやつがチームの中心の雰囲気をつくるんだよねっていう感じになってほしい。そういう感じでやっているぐらいかな。あまり意識してピーアールも、アセスメントだとか、そういうことをやっているわけではありません。
質問2
今日の先生の話をうかがって、すごく参考にしたい、自分たち自身を変えたいと思ったときに、どこからどう手を付けていったらいいかということについて、もし、ご助言があれば。たぶんカリキュラムの問題、指導の問題、扱う教材の問題もあると思いますが、何をどのように設定するかということについて、いろいろあると思うんですけども、ご助言をいただければと思います。
回答2
私が今お話ししたようなことをやりやすかったのは、小さい学校だったことです。うちは、中学校は3クラスなんです。高校は、4クラスなんです。というと、いま高1の英語I、3単位 を僕一人でやっています。みんなどの学年も一人で担当するのです。というと、ほかの人と帳尻合わせる必要がないんです。
ただし、担当が代ったときに、「何なんだよ。久保野が去年教えたクラスは」ということになってはいけないので、お互いに合意することをつくっておくんです。ただ、その合意というのは、あまり細かなことを決めてもしようがないんですね。
一番いいのは、「こういうことをできるようにしておきましょうね」なんです。たとえば1年生の最後に、こういうスピーチをできるようにしましょうとか、2年の最後にこういうことをできるようにしましょうというようなことを合意しておくんです。
教科の中でも、自分の考えを進めて行くためには、いろいろな手だてが必要でしょうが、その中の一つは、取りあえず自分だけでもやらせて欲しいと、ひたすら頭を下げる戦術ですね。「私が行う補習の一環というか、久保野が勝手にやっていることで、英語科で決めたことじゃなくていいですから、目をつぶってくださいよ」というふうにして。そうすると意外と通してくれたんですよ。「英語科で決めたっていうんじゃないからね。きみが勝手にやっているんだよ」。つまり、あんたもやれって言われるのが、きっと嫌なんでしょうね。
でも、そこに風穴を開けちゃえばいいんですよ。そうすると、手が足らなかったら、学年の先生が手伝ってくれるんです。体育の先生、数学の先生なんですけど、いろいろ手伝ってくれました。
あとから転任してくる人もいるでしょう。そういう人には、私はビデオの録画の仕方とかそういうのは、そこそこ段取りできるので、生徒に対する指示のプリントとか全部作っておいてあげて、「先生やろうよ。こんな感じで先生、けっこう頑張るよ」とか言って。「何時間で・・・・・から、やろう、やろう」と言って、もう巻き込んで、空き時間になったらビデオも一緒に撮ってあげたりして、仲間を増やしていくんです。
これはもう、あとクラスの雰囲気づくりと同じです。このあいだ、うちは合唱コンクールがありましたけど、合唱コンクールのときは、一生懸命歌う子、歌わない子、どうでもいい付和雷同している子がいますね。歌わない子をしかるより、付和雷同している子を一歩こっちへ寄せることなんですよ。そうすると、がらっと、風向きが変わるんですね。そういうふうに進めた結果、スピーキングステストはいま全学年やっています。だから、機関決定したんだと思いますよ。つまり、英語科としてスピーキング能力を、学期末に必ずこういうかたちではかりましょうと出したら、こうなった。でも、最初は「私一人でいいですからやらせてくださいよ。お願いしますよ」で、風穴を開けて雪だるまの芯をつくった。そのあとは、上手に壊れないように、壊さないように、転がしていくんです。風穴をあけたら、「決まったことじゃないけど、やらざるを得ない」というように持って行くんです。これは、「この話を公立の先生にしても無理だよ。6年で動かされちゃ」と言われますけど、先生方やわれわれは、学校がつぶれるか、先生方が首にならなければ、ずっといられますからね。だから、長いスパンで変えていくというのは、戦略としてできることなんじゃないかな。それが証拠に、私が来た20年前って、駒場は英語が駄目だって、同僚はみんな言っていましたけど、いまは英語が駄目だって言わないですから。
公開授業をやると、かつては、英語は教員が7人いるのに、お客さんが10 人とかいう状況でしたけど、いまは英語が一番来ます。100人とか。それは、一番来てもらえる努力をしているんですよ。かばんのなかにいつも持っていて、来てね、来てね、みたいな感じでね。でも、これも大事で、「僕がやるから来てね、来てね」って、「しようがないな。あれだけ言うから、人が来ないから、行ってやろうか」って思うでしょう。
あるときに、僕がやったときに、みんなが来たんです。いままで普通は、60、70 なのに100 人いたんです。とすると、次にまた私がやるときに、係の先生が「あんたがやるから来るからな、広い部屋にしてあげるわ」って言ってくれるんです。
だから、追い風を吹かすというのは、自分の努力のうちだと思います。逆風のなかにいるのは努力が足りないので、追い風を吹かせる努力というのをいろんなところでしておくと、自分がふっと上げた気球が、ふうっと高いところまで行く、という感覚が最近あります。会社に勤めたら、一兵卒である自分の上に課長がいて部長がいてみたいな世界なのに、学校の先生って何でもできるわけじゃないですか。こんな権限を新採用に与えてくれる職場なんてないんですよ。それを生かさない手はないですよね。
だから、この仕事っていうのは、夢を語って夢を食っているような仕事なんで、本当に自分がこれがいいと思った夢を邪魔する人がいたら、それは周到に排除して、自分がやりたいことが合法的に通るような学校にしていくこと。でも、これは年齢の問題もありますね。20 代で言っても、40 代で言っているのと重さが違うということ。何か答えになっていないようですが。
あと若い先生方にはあれですが、同僚とはあまりけんかはしないほうがいいです。私はけんかをして、けっこう痛い目に遭っています。これは亡くなった父によくしかられましたね。いくら理屈が正しくても、年下の者にみんなの前で論破されたら、ベテランの気持ちを考えろ。そんなやり方をしたら、恨みしか残らないぞ。頭を使え。父は民間企業に勤めていましたけども、それはけっこう印象に残っています。
ですから、たとえば、足並みをそろえるというときに、ほかの先生が訳していたら、訳すればいいじゃないですか。だけど、先生方が、訳はいらないと思ったら、その訳す作業を45 分で止めればいいんですよ。残りの5分で、ご自身がやりたいことをやればいいので。
みんなが訳すとなっているときに、先生方だけ訳さないと、生徒からも同僚からも、やはりたたかれますから。「先生に持たれると、訳してくれないんだもん。先生に持たれたらテストの点数が下がった。」とか言われたら損なので、やはり足並みはそろえておいて、土壌の文化をつくるみたいなのが、けっこう生きていくすべかな。だから、まわりがやっていることは、一応やります。加えてエキストラにやればいいじゃないですか、みたいなのがけっこう大事かもしれないです
質問3
今日は、いろいろ忘れていたことを思い出させていただいて、ありがとうございます。画面のほうに、いまレイチェル・カーソンが載っているんですが、職場のほうでは、レイチェル・カーソンの題材の部分を生徒に興味を持たせるように、授業の展開をするのが、なかなか難しい題材だと思っているんです。もしよろしかったら、映像を見せていただいて、ご紹介いただけるとありがたいです。
回答3
やはり、酸性雨だとかいう話だとか、まあ温暖化だったら、生徒はみんな知っていますし、あとやはり、食物連鎖の話。食物連鎖で、いかにいろんなものが蓄積していくかみたいな話は分かりますから、そういったトピックから入って、実は、僕らが子どものころというのは、もう本当に平気でああいうのをまいていたしという話をしてから入りました。
私はやはり、教科書に題材があるのや、教科書になくても、自分が教材化させたいなら、片っ端から資料を集めるんですね。いまはインターネットが使えますが、そうじゃないころから、もうひたすら集めました。これは昔のNHKの番組を撮ったんですが、レイチェルがしゃべっているところです。意外とろれつが回っていなくて聞きづらいところがあるんですが。【ビデオ上映】
たまたま昔撮っていたNHKの番組なんですけど、それをこうやってレイチェルがしゃべっている声を引っ張り出して、一生懸命トランススクライブして分からないところは、ネイティブスピーカーに聞いたりする。これはやはり、自分の勉強になるんです。私は趣味はディクテーションなんで、映画とかそういうのをトランスクライブするのが、学生のころから好きなんですよ。いまはDVDで英語字幕が出ますけど、ビデオをよく一生懸命書き起こして、教材にしようと思いました。
これを見たときも、私は恥ずかしながら、レイチェルが最初のほうで言った「アクイエス」という言葉を知らなくて、嫌だなあと思いましたね。こうやって自分の勉強にもなるし、こういうのも長期休みのときとかに、ちょっとこつこつやっておいてためておくんですね。そうすると何かのときに使えるかなと。
あと、レジュメのなかにバーバラ・リーうんぬんというのがあって、レッスン9“Janet ranking ・・・・・”という課がありますね。これは『UNICORN』の旧版のレッスンなんですよ。(資料16)
これを従来のやり方だと、1日1ページずつやっていくんですけど、そんなのつまらないじゃないですか。というので、私がやったのはどういうことかというと、ちょうどその日にテロがあったので、こういう影像を。これはもうあの日、ずっとCNNを撮りっぱなしにしていたので、生徒に見せます。これは生です。【ビデオ上映】
この映像を見せるにあたっては、その前に英字新聞を読ませているんです。映像の音声から聞き取るのが難しい場合でも、英字新聞を読んで大体の中身を知っていますから、どういう意味か、だいたい分かるわけですね。そのキーになる単語の意味を分からせて、音読したあとに聞かせると、意外と拾えるんです。中身を知っているし。
これを見せたあと、かみさんがニューヨークに行ったときに買ってきたスカイスクレイパーを紹介する。こういうのを見せて、スカイスクレイパーの歴史なんかをざっとやって、「このあとこの対テロ戦争に一人だけ反対した議員がいたんだよね。バーバラ・リーって言うんだけど。これと同じことが何十年か前にあったんだよって、じゃあ、それを読んでみようか」と言って、興味付けをして、そのときに一気に読むのは無理だと思ったので、トピックセンテンスだけを抜いたプリントにしたんです。これがそうなんです。だから、頭のぶんだけ抜いてあるんです。そうすると、これは200 ワードを切るので、分速100 ワードで読めたとすれば、2分で1ワードラインがとれる。
これは全部で5セクションズあるんですが、生徒には、「大きく2つに前半、後半に分けてごらん」と助けだけ出した。「2つに分けられた人は、それぞれの段落にどんなことが書いてあるか予想して、もう1回読み直してごらん」と、これだけです。
これは、皆さんはぱっと見て分かると思いますけど、よくあるフラッシュバックという手法で、セクション1というのは、パールハーバーのころの話なんです。このときに反対した唯一の女性議員がいたと言って、セクション3からは、生まれたときから死ぬまでなんです。これは小説の段落を書くのに、よくやる手ですね。
このように大きく2つに分けられて、そういう全体構造がつかめると、文章が霧のなかのワインディングロードじゃなくなるんです。そこまで見当がついて、「はい、じゃあ教科書。はい、じゃあ、いまから7分あげるから、全部読んでごらん」と言ったら、先が見えているから、意外と読めるのです。授業中に7分与えて読ませちゃうんですよ。予習はさせませんから。そのときに、ただ読ますと読めないんですけど、このようにアシストしておいて、あたりをつけさせておいて読ませる。読み終わったら、サマリーをメモしてくださいと。
実は、私が今、課題だと思っているのは、授業中一番やっていないことである、読むことなんですよ。えって思われるかもしれませんけど、予習の答え合わせはしていますけど、授業中に自力で所定のテキストと格闘させるというのは、入試問題演習のとき以外はさせないんです。だから、私はもっともっと授業中に、やはりある達度を与えて、数分間集中して読ませるということをさせないといけないんじゃないかなと思っているので、意識的に。
授業は、あるレッスンの最初は、いま先生のご質問からあったように何か導入をして、そのときに映像だとかCDだとかを使って、生徒の現状とテキストのあいだに橋を架けて、それこそ映画の予告編のトレイルと同じようなのですよ。劇場に足を運ぶ気分にさせて、続きは読んでのお楽しみ。さあ、読め、5分間。
そういう感じにして、概要をとったあと、「じゃあ、明日は細かいことを聞くから辞書を引いてきて」と言うと、あらかた筋がとれているものの辞書引きだから、先はどうなるか、全然分からないで辞書を引く苦痛よりもだいぶ楽じゃないかな、というふうにしているんです。
