学校法人 立教学院

英語科教員研修会
第三回 中高6 年間を見通した指導と評価の構造改革 -「ことば」として英語を教えるために -

1. 中高一貫について

ここに来る前に、立教中高の歴史を調べてきました。立教では、中高一貫が一つのテーマなのだ そうですが、私に白羽の矢が立ったのは、中高一貫、男子校に勤めている教員ということが大き かったと思います。つまり、先生方とほぼ同じような環境にいる教員ということですね。たぶん 先生方の悩みを共有できて、それに対する解決策を持っているかもしれないという期待があった のかなと想像します。最初に申しあげておきすと、私の憶測ですが、中高一貫であっても、新座 と池袋が直面した問題は違うのではないかと思うのですね。それはなぜかと言いますと、池袋の 場合には、中学校があったところに高校を持ってきました。新座の場合には、高校があったとこ ろに中学校をぶら下げるわけですね。ということはそれまで高校の先生だった人が中学校を教え るわけでしょう。そのあと教員の半分を入れ替えることはまずないわけで、公立のように異動があるわけではないですから。

一方、池袋では、中学校の先生だった人が高校を教える。この両者は、直面する感じが全然違うのですね。私は中学校の教 員上がりではなくてもともと高校の教員なので、高校の教員が中学生を教えるときのとまどいだとか、やってしまいがちな 失敗というのはいくつも想像がつきます。また、うちの連れ合いは中学校の教員のエキスパートとしてずっとやってきてい るのですが、たまに併設の筑波大附属高校にも教えに行きます。やはり中学の教員が高校を教えるときに分からないことが いくつもあって、私に聞いてくることもあります。それを考えているだけでも、ずいぶん違うのだろうなと思います。中高 一貫のありかたを、どうすればいいかと考える場合、どちらから見るかによって、けっこう悩みが違うのではないかなと思っ ています。

『レベルアップ英文法』という番組をつくっている太田洋さんという人は、この1年ちょっと前まで東京学芸大附属世田谷 中学にいた人ですが、この先生もやはり高校のことは分からないです。自分が高校生だったころ以外、高校生と接点がない のですね。私がこの番組づくりを手伝っているのはそういうところで、たとえばSVOCという文型を中学3年生でやりま す。 make me silentとかcall him Dick というのしか中学校では出てこないのです。これが高校ではずいぶん発展していっ て、この文型がちゃんと分かることというのは、高校英語のかなり大きな部分を割くわけです。そこが分詞になったり、不 定詞になったり、原形であったり。いわゆるネクサスという構文ですね。OCというところに文が埋め込まれている。でも、 中学校だけ教えていると、これがどうやって発展するかという文法事項の、どこが高校につながって、ここは意外とつなが らないということが見えないですね。それがよく分かりました。

2. 高校教師から中学校教師へ

逆に高校の教員は、これは私の経験ですけれども、私がいた高校というのは、神奈川県立の英語科の高校だったのです。い までこそ英語科の学校はいくつかありますが、1960 年代半ばにそういうことはほとんどなかったのですね。港横浜で、実 際に英語を使って仕事をする、働く人を養成しようという学校だったのです。当然、生徒は英語大好きです。英語が 10 時 間ありました。そのぶん理数は弱かったですけどね。そういう学校に4年間勤めていた私が筑波大附属駒場に移りました。 前の学校では9割が女の子です。今度移ったところは100 パーセント男子校です。小学校時代は女の子がいて抑圧されて いたのが、男子だけになり、もうのびのびしているんですね。きゃっきゃ、きゃっきゃと本当に幼稚です。

そういう子たちを教えることになって、まず教科書を開けてみました。当時は『CROWN』を使っていましたが、 Lesson 1のSection1、“Your hat?”“Yes, my hat.”、これですよ。うそ、えっ、5分で終わっちゃうじゃない、どうするんだと。 高校時代の私の授業では、進度管理と説明を上手にすることが自分にとってのいい授業だったんですね。しかし、進度管理 も何もないですよね。これをそのままやったら1学期で教科書が終わってしまうじゃないか、5分で終わっちゃうじゃない かと思いました。そこで、最初のころに私が何をしていたかというと、もうエンターテイメントですよ。意味もなく歌を歌 わせる。わけが分からないけど、何しろゲームは受ける。そうやって賑やかに、賑やかに、なんとか50 分逃げ切るという ことばかり考えていた。ようやく50 分ぶんのネタができたぞといって、10 分刻みぐらいに何か面白そうなことをやらせて、 生徒が飽きて騒がないかなとやっていた。

3. 立ち止まって考えたこと・・・卓球の指導者からの示唆

ところが、ずっとそれをやっていくと、生徒が飽きてきます。こちらもどんどん刺激を上げていかないと、生徒は「またそ のゲームかよ」という感じになってくるので、疲れてきました。そのときにふと思ったのは、生徒は、意外に、教科書の中 身がちゃんと身についていないのではないかということです。「やさしいから大丈夫だよね、分かるよね」と言ってさらっ と済ませていたことが、意外に身についていないというのが分かった。

そのときに私が強い印象を受けたのが、実は英語の先生ではなく、卓球の指導者でした。私は若いころ非常に熱心に卓球の 指導をしていましたから、それこそ関東大会に行きたいと思っていて、1学期などはほとんど土日もなく、練習試合をして いました。その時、ある強い学校に合同練習を申し込んだのです。きっと僕が知らないようなすごい練習があるのだろうな、 と思って行ったのです。ところが、そんなものは何もないです。ただ、生徒が練習時間にきちんと集まるし、体操服ではな く、きちんとユニフォームを着てくる。シューズのかかとを踏んでいるような子はいない。それで練習も、決められたこと をきちんとこなすんですよ。たとえば、サーブは長く打っては駄目だというのは卓球をやったことのある方はお分かりです が、ワンバウンドで出てしまうサーブはみんなたたかれるのです。台上で2バウンドするぐらいなのが打たれないのです。 台の真ん中に短く打てば打ち反されない。私の学校でも、それを言っているのだけれども、徹底が甘いのです。「駄目だな」 とか言いながら、徹底させようとしていなかった。その学校では、百発百中、生徒がそれをできるまで徹底させているんで す。そのときにかなりショックを受けました。 そのあと、その先生と飲んだときにいろいろ話したら、「やらなければい けないことは決まっているので、それをいかに飽きさせずにきちんとやるかだよ」と言われました。「でも先生、こういう 練習ってつまらなくて飽きませんか」と言ったら、私に見せてくれたのが、『全国への道』というプリントです。中学1年 生の入学時に配っているものです。中3の夏に全国大会に行くには、いま何をしなければならないか。全国大会で優勝する には、関東大会を上位で抜けないとシードはもらえない。関東を上位で抜けるには関東大会のシードをもらわなければいけ ない。ということは、都大会で優勝しなければ絶対に無理、区大会でも優勝しなければならない。そのためには、シードを 落としたら負けなのですね。どんなに強いチームでも、シードを新人戦で落とすと、春の大会はシード下に入りますから、 下手をすると負けてしまうおそれがある。ということは、1年生の今からやらなければいけないことが逆算して見えてくる のです。「上手な先輩は、こういうことができるから上手なんだよ」ということをきちんと生徒に分かるようにする。ただ 怖いからやらせるのではないのです。生徒は、このシンプルで単純な練習が、何のために役に立つのかがちゃんと分かって いるのです。これだなと思いました。

4. 授業のやり方が変わる

それから、私の授業のやり方は大きく変わったと思います。つまりそれまでは、大学や高校のときに言われたように、「教 科書を教えるのではない、教科書で教えるのだ」ということを曲解して、教科書を軽視して、視聴覚機器をたくさん持って いって、プリントをたくさん配るのが熱心ないい先生、いい授業だと思っていたのです。けれども、本当は教員の力って、 他に何もなくても、教科書だけで、生徒が飽きずに50 分間、練習をして力がつく授業なのではないかなというふうにシフ トしてきました。そのためにはどういうことが必要なのかなと考えると、英語の研究会に行っても、学ぶ視点が違ってきた のですね。派手な活動などについて、これを表面上パクってやろうとかいうのではなくて、この先生がなぜこういうことが できるのだろう、その手前に何をやっているのだろうということを考えるようになりました。

5. 教材調べは英語で

こういう活動を行うためには何をやっているかというと、英語のサイトを調べて、それを参考にしてプロファイルするわけ ですね。日本語で調べると、それをまた英語にするのがなかなか大変なので、自分もそうですし、生徒にも勧めています。 私が教材の背景知識を英語で話そうと考えて準備のために調べるのは、易しく書いてある英語の百科事典ですね。それを見 ると、なるほどこういうことか、これいただきと、自分の英語も磨かれていきますし、日本語で調べてしまうと、英語で何 と言おうかなと、私の英語の力では歯が立たないものも多いので、直接英語で調べています。ですから、こういう活動のた めに準備することが、いろいろな勉強を引き起こすわけです。

6. 授業設計と音読の狙い

結論から言いますと、高校の英語Ⅰ、英語Ⅱも中学と同様で、聞く、話す、読む、書くをバランスよく教えるのが目標になっ ている教科書ですね。聞く、読む、書くは筆記試験でも測れますが、話すは測れません。ですから、これは話させるしかな いわけです。でも、単に話させるだけだと面白くないので、1学期に一度ぐらい、みんなが知恵を絞って取り組めるような イベント的なものを、年度初めに3つ考えるというのが私の目標なのです。3つできないこともありますが、最低でも学年 末に一つは考えるのです。この学年には、1年生が終わったときにこういうことをやらせてみようと。これができるように するためにはどうすればいいかなと考えるのです。それが授業設計になります。では、こういうものをやるにはどうするか というと、書けなければいけない。書けたとしても、生徒がそれを棒読みしたりしたら、全然通じないじゃないですか。で はどうするかというと、結局やっていることというのは、教科書をきちんと意味が伝わるように音読できたり、それを暗唱 できたりするということだと思うんです。だって、自分が書いたテキストか、教科書のようなお仕着せのテキストかの違い だけであって、メモを見ながら中身を思い出してぱっと言語化して話すという活動内容は同じだと思うんです。キーワード だけを見て、ぱっと見て再現する。これは、あとで先生方に発表していただこうと思っています。

7. 保護者に目標を示す

実は昨日は高校1年生の保護者会がありました。私はその学年を今年から持ったので、親は「どんな先生なんだろう。この 先生で大丈夫かしら」と思っているわけです。そういうときに親の前で、「大丈夫ですよ」と言うだけですとインパクトが 弱いなと思います。そこで、いつもやるのは、自分が今まで持った生徒は、高校3年生のときどんな様子だ、高2でどんな 様子、高1でどんな様子かというのを見せて、しっかりやればこのくらいの力がつきますからねということを親に示すよう にしています。そうすれば、なるほど、うちの子も頑張ればこのくらいできるようになるのかと思うじゃないですか。

これは部活動で言えば、「あの先生についていけば関東大会に行けるかもしれない」、この先生は何年前に関東大会に行った、 都大会で優勝したという実績を示しているということなんです。一方で私は、怖いし、怒るしと言われているんですよね。 細かい、うるさいとかね。だって、遊んでいてできるようになるわけがないですよね。厳しく練習しないとできるようにな るわけないですよ。時間は限られているのですから。そこは腹をくくってちゃんとやるかどうかだということを、生徒とこ ちらが約束するかどうかですからね。

8.「使える英語」を目指して―中1、中3でやることの一例

中1の段階では、まだ綴り字はなかなか正確に読めないですよね。でも、聞いてきちんと再生することはできます。ですか ら、ここでやったのは、カタカナ語を英語らしく言うことです。昔の『基礎英語』、今年、復活しましたが、木村松雄さん が数年前にやっていたときの中1です。いまの高校3年生かな。いま、木村さんはまた同じように4月にやっていましたが、 日本人がカタカナとして知っている単語をひたすら英語らしく言わせる活動が4月にあるんです。だから、生徒が手元に持っ ているのはカタカナのリストです。それを通じるかどうか私が聞いて、マル、バツと付けているのです。

私の授業では、授業の冒頭に前時にやったページの暗唱発表をします。家で練習してきたもの。それが終わると今日の新し いところに入って、説明は、授業が始まって35 分ぐらいで終わってしまうのですね。あとの15 分は音読練習、発音練習、 暗唱練習に割くのです。あとは家でちゃんとやっておいてね、次の日に発表してもらうよという流れです。

そうすると、生徒にとっては、教科書の中身を理解するのは造作もないかもしれない。だけど、その英語をちゃんと正確に 言えるかといったら、練習しないととても言えない。ですから、生徒によく言うのですけれども、「理解できた」というの は入り口なんです。そこから始まるわけで、そこから練習して分かったことが使えるようになる。それで初めて英語が技能 として身につくわけです。

本当は言葉というのは、使いながら覚えるのが一番いいわけですよ。われわれが母語を習得したのもそうです。でも、日本 に住んでいると、普通は英語を実際に使う機会がないんですね。そこで参考にするのは、スイミングスクール。だって、家 にプールがある人はいないですよね。どんなに風呂が広くても、風呂では泳げません。だけれども、スイミングスクールに 行くことによって泳げるようにしていますね。

卓球もそうですよ。家に卓球台は置けませんから。でも、そうなったときに、家でできる練習とは何かなと考えたんです。 筋トレにしろ、素振りにしろ。たぶん英語の授業というのは、これに近いイメージだなと思っているんです。授業中に、最 大15 分間練習させたところで、練習量としては少ないですよね。ですから、練習としてはこれは不十分だということを、 お互いが十分に理解しておく。では、何のための練習か。練習方法が身につくための練習なんです。

うちの卓球部は、部員が40人もいるのに、中高で台が3台しかありません。たった3台ですよ。クロスで入っても12人しか入れないです。半分以上の生徒は球を拾っているか、外で走っているんです。そうなったときに、こちらが何を考えるかというと、台に入っていないときにやれる練習で上手にできることはないのかと考えたのです。英語もこれに似ているような気がするんです。だから、生徒が家に帰ったときに、ちゃんと無駄なく、短い時間で上手に練習できて、授業でやったことが身について、堂々と発表できる。そういう練習の仕方を身につけさせてあげることというのが、中学校の最初のころにすごく大事なことです。

9.復習のさせ方―授業の中に取り込む方法

生徒というのは、口で言っただけでは駄目です。最初のころは、復習の仕方をシステム化してプリントで配ればいいと考えて、生徒に、「机の前に張っておけよ、このとおりにやるんだぞ」と言ったのですが、言ったからってやるわけがないですよね。今どうしているかというと、中学1年生のときに、たとえば10分でできる復習プログラムの場合には、授業の後半10分をその練習に当てるのです。「はい、ではこれから復習の練習をします」と言って、最初のころは黒板に張っておいて、はいステップ1、今日やった教科書を開いて黙読する、と。そして、意味が不確かだと思ったところに印をつけて、教科書の巻末のグロッサリを調べて、ああそうだったかと確認し、その単語の意味を考えながら何回も読み、そのあと意味がちゃんと分かるかどうかを再確認し、もう一回読んだら、音読をする。すらすらと音読ができて、授業中に発表できるという自信がついたら止めていい。中1の最初はこれだけです。こんなものは10分もかかりません。このように、復習を授業中にやらせるのです。それを見て回るわけです。4、5時間これをやれば、もうこちらが何も言わなくても、はい、ステップ1、ステップ2と言うと、生徒は練習が頭に入っていますから、一つの流れになって練習していけるようになります。ほら、10分かからないよね、もう大丈夫ね。では、もう次から家でやってよというふうにするのです。そのときに10分の時間を割かれますけれども、このほうが結果は早いのです。だいたいの子はできるようになります。

私は、ほとんどそういう当たり前のことしかやっていないです。私はすごいアイデアマンなわけでもないし、面白おかしいアクティビティを思いつく方でもなくて、ただ順番に物事を詰めて考えるほうなのです。これだとこうなる、ではこうしてみようということを、順番に工夫していった結果です。

10.復習から発表へ

そういうかたちで練習してきてもらったことを、授業で発表させるわけです。急に発表しろというと、上手くいきませんから、前時の最後にやった音読、暗唱練習をさっと流して、はい誰々というふうにやります。前時にやったことを軽くトレースしているからこれだけ早くできるので、前時はこんなにすんなりいくわけではありません。【ビデオ上映】

毎時間の最初に、こういうようなことを数人に発表させるのです。手を挙げて発表し、発表した人は次の人を当てていいのです。観点別評価というのは、私立はやらなくていいのかどうか分かりませんが、私の学校ではやらなくてはいけないのです。「関心・意欲・態度」なんて、そんなもの分かるかというものをやらなきゃいけないのですね。うなずいたからといって関心があるわけではないし、そっぽを向いていたって意欲はあるかもしれないわけですから。評価は、このような生徒の具体的な学習の結果によってでしかつけないと生徒にも親にも言ってあるのです。ここで練習して手を挙げて発表したらそれを1点ずつ加算していくからと。それが高かったらA、なかったらCとなると言ってあるので、みんな必死に手を挙げてきます。こういうのは大好きなんですね。一所懸命練習をして発表しています。こういうふうに積み上げていけば、written textを相手に分かるように伝えるということに何の支障もないので、書ければ終わりです。

11.アドリブで話すための課題設定

では、アドリブでしゃべらせることはないのかというと、あります。例えば、これも中3で、これは違う年度ですが、1学期の学期末にやった道案内です。設定はつぎのようになっています。

<君が、駅でばったり外人講師の先生に会った。君はこれから部活で、乗る予定の電車は1分後に発車する。その先生はなぜか君の家に家庭訪問に行くとのこと。だから、1分以内に家への道筋を説明する>というものです。

持っていていい物は、駅から家までの地図だけ。当然、その前に説明のための原稿も書いているのだけれども、授業の最初5分間練習させたあと、私はそれを回収してしまいますから、生徒は持っていないのです。この授業を担当される外人講師の先生には、覚えなくてもいい、最後に家まで着いたらOKと言って下さいと御願いしておきます。そして、何か関連する質問をぶつけてくださいとも御願いしておきます。生徒は、それにはアドリブで答えなくてはいけません。この第2関門まで突破できて、初めて合格というものです。“What floor?”と聞かれたのですから、形としてきれいに呼応するには、“We live on the third floor.”なのかもしれませんが、とっさに詰まったのですね。それでどうしたかというと、“My room number is 306.”と言って、そうだ、うちのマンションはプッシュボタンを押さないと入れないというので、 “So, at the entrance, you have to push the room number.”と言えたわけですね。ここで英語が崩れないように鍛えておくことが大事です。アドリブになったら急に、「ええっと、entrance … 306 … push」となっては、どうしようもないわけです。

12.文法の口頭練習の必要性

では、このためには何をするかというと、やはり文法の口頭練習の徹底なのですね。私の授業は文法を軽視しているわけでは全然なくて、重視しているほうだと思っているのです。ただ、自分が受けた英語教育とは文法練習のさせ方が違うのではないかなと思います。

13.厳しくても上達する道を

いままでのお話しが、実はレジュメのいくつかの部分をアトランダムに拾ってしまったわけですが、こんな感じの生徒を育てるべく、日夜授業をしているということであります。繰り返しになりますが、教師が、「生徒は分かっている」と推定するだけで終わっていると駄目なのです。もしできていないなと思ったら、この手順でやれば意外と無理なくできるのではないかと思います。教師は、やたら難しいことを教えたがるのですね。ただ、よく考えてみると、難しいことで煙に巻くのは大学生の家庭教師でもできるのです。本当に教えるのが上手な人というのは、シンプルなことで飽きさせない人だと思います。自分はそうありたいと思っています。

ずいぶん昔に西武の監督をしておられた広岡達朗さんや、最近、西武の監督していた伊原春樹さんなどがおっしゃっていますが、「当たり前のことを当たり前にやる」ことが大切なのだと思います。英語を身につけようと思って、全然努力をしないでできた人もいらっしゃるかも知れないけれども、われわれは人より努力する割りにはなかなか身につかない。まだまだ駄目だなと思うことも多いのです。大人の、英語の教師になるような者が一所懸命努力しても、未だ道半ばと思っているわけです。ですから、生徒も中途半端な気持ちでやっていても身につかないです。だから、楽しいこと、やってみたいことをするというのは、それはそれですごく大事ですが、そこからあと、やはり中学生ぐらいになったときに、「いいか、おまえら。やらなきゃいけないことがたくさんあって、日本のこの環境で外国語を身につけようと思ったら、半端な気持ちじゃ駄目で、しっかり勉強しないと駄目に決まっているじゃないか」というところを、腹をくくらせる必要があると思います。腹をくくったあと、英語が使えるようになった、実際にニュースを見たら少し分かったというような喜びにつながるような授業をしていけばよいと考えています。「厳しくても面白いと思うよ」と言うと、「そんなこと思うのは先生だけだ」と生徒に言われるんです。そう言われながらも、生徒だって本当は面白いと思っていると信じているのですが。

14.学校という場の使命

だって、ご自身が生徒だったときのことを考えてください。たとえば卓球部に入っていたとして、練習は遊んでいて楽しい。温泉ピンポンみたいなことをして。でも、試合で勝てない部活と、厳しいかもしれないけれども、やっていることは理にかなっていて、めきめき上達すると分かっていたら、前向きな子どもって、厳しくてもちゃんと上達できる方を選ぶと思うんです。学校ってそういう場だと思うんです。だから、理想の学びの場というのは、こちらがプロとして、「鍛えて伸ばしてあげるからこっちへ来いよ」という姿勢をもち、生徒も「お願いします、鍛えてください」という関係をいかに培っているかということだと思います。集団を相手にしているわけですから。個々に教えているのとは違うわけで、ある部分、我慢してもらわないといけないところもあるでしょう。集団で学ぶということは、これはある意味で日本の良さだと思っているので、それを最大限に生かしていきたいと思っています。ですから、私は、行儀についてもうるさいと思います。授業中にひじをつくと怒りますから。

15.ゴールを定め提示する

実は私は中1の1学期末に20秒自己紹介というのをやっているのですが、前に出てみんなに、“Hello, My name is KUBONO MASASHI. I live in BUNKYO-KU. I like playing the piano, I like ….”とかね。この程度だって20秒ぐらいになるわけですから、自己紹介を簡単にするというのが1学期のゴールなんです。こういうゴールを決めると授業が変わってきませんか。だって、こういう力、こういうことをさせなきゃいけないとすると、問題ばかり解いていて、生徒が黙々とやっているような授業を繰り返していたら、絶対にできるようにならない。だったら、あれができるようにするにはどうしようと、絶えず逆算するかたちで自分の授業を見直すようにする。だから、最低でも学年末。それから下ろしていって学期末に大きく課題を置くと、授業の見通しが変わってくる。今日の授業が明日の何につながって、明日が学期末にどうつながるかという意識が不可欠です。

リーディングやリスニングのように受け身的、受信的なものというのは、なかなか目標を出しにくいものです。マテリアルの難易度とか、分量だとか、そういう範囲だけのことになりがちですよね。でも、特に「話したこと」というのは表に出ますし、努力したことがかなりはっきりと、仲間にも分かるから、すごくいい。だから、おおざっぱに言うと、「スピーキング」という目標を掲げるだけでもいいんですよ。筆記で測れないスピーキングを、学期末にプレゼンさせるよ、面接するよと。そのために授業で練習するよというわけで、授業設計が全く変わってくる。

16.「言えること」と「書けること」の学年差

授業中に音読や暗唱練習をしていると、あるとき急にうまくなってくる子って出てくるんです。私は見ていて、ずっと努力していて、徐々にうまくなるというより、あるときふっと上手になる。まわりの生徒が、「おまえ、どうしたの。英語苦手だったのに。」などと言っているわけです。私が、「復習というものはちゃんとやってみるものですね」、なんて言うと、「ちょっとやばいな」という生徒の声が出る。自分より点が低くて英語はできないと思った子が、どう考えてもうまいんです。それであせるんです。「ペーパードライバーというのが英語にもありましてね」と、生徒たちに話をしたりします。 中1の1学期だと20秒自己紹介ができても、「はい、ではいまの原稿を書いてごらん」と言っても書けない。中1は原稿を持たないのです。これとこれを言おうと思うとそのまま覚えられます。ところが中3ぐらいになると、しっかりと書いて練習するようになるので、スキルの依存関係が大きく変わってきます。中学1年生は、言えるけれども書けない。だから、先ず言えるようにして、それを追いかけて書けるようにしていく。言えることが大きくて、書けることはそれより小さいのですが、学年が上がっていけば上がるほど、それが相互に補うようになる。このあたりの見極めをしていく必要があるのですね。だんだん変わっていくと思います。

17.予習は不要

授業のとらえ方については、練習を身につけさせる場だということは申しあげました。基本的に私は中学校でも高校でも、予習は不要だと思っています。復習が大事だと思っています。これについては、自分の高校時代に忌まわしい予習体験があります。私は中学校時代、英語が大好きだったんです。ただ、塾も行っていなかったし、単語は巻末のリストについていますから、辞書も引かなかった。高校に入ったら、辞書を買わなければいけないけど、何を買っていいか分からないので、母の『コンサイス』を借りた。『コンサイス』みたいに例文のない辞書なんか、いまの高校生は誰も使わないでしょうね。親もそういう意識がなかったから貸してくれました。1ページ目を見る。昔の高校の教科書は新語が10数個出ていましたね。まじめにラインマーカーで塗っていきましたが、まったく分からなかった。めまいがしましたね。とりあえず単語帳というのをつくらなければいけないらしいということで、買ってきてやりましたが、語意の発見ができない。頭から見ていって、いくつも意味がある。いいや、とりあえず1個目を書いておこう。それをつぎはぎするのですから、何のことか意味が分からない。

授業は、予習の答え合わせみたいなんですよ。「はい、読め」、「はい、解いて。違う」とね。予習してきた子はすらすら言うけど、予習すらできなかった子はちんぷんかんぷん。好きだった英語が大嫌いになった覚えがあります。

私がどうしたかというと、どうしようかな、困ったと思っていたときに、たまたま親戚の家に行ったらおじが持っていた、旺文社の易しい文法の本があった。それを夏休みになんとなく読んだら、仮定法も含めて、文法の概略が分かったんですね。もともと文法は大好きだったものですから、またそれでやる気になりました。

18.意味が分かったら声に出して読む

予習をしてこいと言われても、どうやって予習していいか分からない。生徒は1ページ予習するのに2時間かかる。この2時間は苦痛ですよ。まず単語を調べるという時点では、語句の意味も発音も分かっていない。次、辞書を引きながら訳を書きますが、この訳というのは、「予習していないわけではありません」というアリバイ作りに過ぎません。生徒に言うのは、翻訳というのはプロが飯を食う仕事なので、君たちには要らない。そんな時間はないし、君らではそんな能力はないのだから、読んで意味が分かったら、その英語を声に出して読んでみればいい。これは僕が高校時代、高3のときに、厳しいけれど尊敬できる恩師に会って、その先生が言ったことです。読んで意味が分かったら、それを自分がこう言えば通じるはずだなと考えながら声に出して読んでみる。そういう予習をしろとおっしゃったんですね。だから、それだったら、意味が分かって読めるようになった英語を書いてみよう、が当たり前。だから、復習のところで、訳をどうしてもというのだったら、「今日分かったところを、訳を見ながら教科書を再生してごらん、分からないところは教科書を見てもいいから」、というような条件で書かせるのだったら、まだ意味があるかもしれません。しかし、長い時間かけて予習をさせても、いやになるだけで、英語そのものはちっとも身につかないかもしれない。

19.辞書の引き方の学習

予習によって、辞書の引き方が少しばかりうまくなるかもしれないけど、そんなの授業中にみんなで共有しながらやればいいじゃないですか。ある単語の意味を調べるために、「なぜそれは過去形なんだろう。なぜ名詞だと思ったのか、なぜ形容詞だと思ったのか。なぜそれを選んだの」ってやっていけば、みんなで共有することができます。いま、電子辞書が流行っていますから、これは大変なことで、辞書が引ける大人には非常に便利ですけど、辞書が引けない子には、一番上の語意を引き写すということを助長しますからね。あと、一覧性が低いので、多義語だったり、基本語のいろいろな意味なんてほとんど考えないですよ。だから、やはりいまは余計に辞書の指導が大事だと必要かなと考えています。

20.鉛筆の持ち方の指導も

中1のことで、あとは文字ですね。生徒の鉛筆の持ち方が気になりませんか。特に中学校の先生。私はすごく気になります。どのように持つ子が多いかというと、親指人差し指の上にかぶさって、鉛筆が前に倒れる。こっちに鉛筆のお尻の消しゴムが見えるんですよ。ほとんどの生徒が横からノートを覗き込む。だって鉛筆の先が見えないから。

いま、保健体育の教員と話しているのは、こういう生徒に対して背筋を伸ばせ、姿勢が悪いと言っても、それはしようがない。見えないし書けないからそうなってしまうのだから。背筋をしっかり伸ばして授業を受けさせたかったら、鉛筆の持ち方を直せばいい。うちは上の男の子が小学校4年生で、鉛筆の持ち方が気になっていたので、うちのかみさんがホームページでいろいろ調べて、通販でいろいろ買っては捨て、買っては捨てましたね。いろいろな通販で鉛筆の持ち方補助器具を試してみましたけど、「もちかたくん」が一番よかった。鉛筆にくっつけるやつは駄目です。鉛筆を変えるときにいちいち変えなければいけないから。指にこうやって挟むんです。それで鉛筆を持たせると、鉛筆もちゃんとした持ち方をしていますね。 僕らのころと比べると、鉛筆の持ち方みたいなものは親も学校もうるさく言わなくなっているので、持ち方が変ですよね。それで、持ち方なんかいいんだ、個性だという考えがあるかもしれない。だけど、私はその立場に立たない。変な持ち方だって上手な人はいるかもしれない。だけど、学校というのは凡人のレベルを上げるところです。一部の天才は関係ないのです。学校の枠から外れちゃったような人はいいんです。普通の人のレベルを上げるということが大事なんです。

去年の授業はそうやってうるさくやりましたら、うちのかみさんも英語の教員ですから、家で採点していると、「うん?この答案の字、 きれいね。筑駒の子に見えない、どうしたの」と言うから、「秘密のトレーニングをしたのさ」と言っているわけです。やはりうるさく言って、こうやったらきれいに書けるよ、こうしたらどうだとやっていくと、簡単です。よく、女子はきれいにかけても男子はしようがないといって諦めるんですけども、諦めないほうがいいと思いました。濃くはっきり書かないとバツ。生徒には、濃い色でしっかり書いてくれと言いました。

21.英文和訳の評価の難しさ

立教の高校生はあまり受験しないでしょうけれども、一つだけ大学受験の話をしておきます。私は、定期試験では下線部訳を出しません。校内模試では出さざるを得ないのですが。下線部訳でなくて理解をはかれる問題を開発しようと思ったのです。英語の力を訳で測れるかというと、私は怪しいなと思っているんですよ。分かっていなくても煙に巻けてしまう。何かよく分からないけどと、訳の採点で悩むことはありませんか。 A君は英語がよく分かるけど日本語がへた。B君は日本語が上手で煙に巻いている。この区別がつかない。

22.テストづくりについて

では、どのようにテストをするのかというと、中3のテストの現物を持ってきましたのでご覧ください。試験って作るのに悩みますよね。私は、すごく極端に出して失敗したことがあります。新卒のときに初めてテストを作りました。誰も教えてくれない。どうしようと思ってやったことは、実家から高校時代のテストを持ってきました。ワークブックを見て、市販の問題集を見た。その結果、訳が多くなる。そうすると、訳で悩むのですね。いまでも忘れませんが、“early in the afternoon”というくだりがあって、ある子は「午後早く」、ある子は「昼過ぎに」と書いた。隣の数学の先生に、「1つだけ聞いていいですか。これって日本語で普通に言いますか」と聞いたりしました。そこで、すごく嫌がられてしまいました。しようがないから、当時は実家にいましたから、母親に聞きました。「お母さん、お母さん。こういうものって普通、使う?」「使わないな、これは」。「そうだよね」と言いうような感じです。私は一応、英語の免許をもらって先生をやっていますが、うちのおふくろは、日本語の母語学者としての経験が僕よりも20数年あるけれども、単なるおばさんですね。そのおばさんの判定を受け入れて採点しながら、こんなのでいいのかと自問自答しました。「先生、なぜこれでは変なのですか」「うちのおふくろが変だと言ったから」。そんなのおかしいじゃないですか。そんなのはいやだなと思い、僕は訳は出したくないと思いました。

それではどうしたらいいか分からなかったので、いろいろなテスティングの本を調べてみました。1980年代半ばというのは、イギリス流の、CLT (Communicative Language Testing) のものが出だしたころで、そういう本を読みました。新卒ですから、すぐに何でも信じてしまうので、そうか、そりゃそうだよねと思い始めました。そこで得たことも取り入れて、次の試験のときに、「ここまで試験範囲ね」と言いながら、長文問題は全部、未習のものにしました。抗議文を付けてクラス委員が職員室に乗り込んできましたね。「なぜ生徒をだましたのか」。いや、だましたのではなくて、こういう本があって、ここに書いてあるだろうと言っても、聞きはしないですね。「先生のばか。数学をやればよかった。もう英語なんか勉強しない」と。

そこではたと思ったんです。「もう勉強しない」って困りますよね。そうか、試験って勉強させるという働きもあるなと思ったんです。それ以降私は折衷主義で、やってくればできる問題、英語が読めたり書けたりすればできる問題が半分。その半分かどうかの案配は生徒によって変える。つまり、試験というのはあまり厳密に測定を追求すると、限りなく実力テストになる。確かに実力テストだと測定はできるかもしれないけど、その結果何が起きるかというと、生徒は勉強しない。実力テストなんて勉強のしようがないと。そうすると、相変わらずできないなということにしかならない。だって、勉強してこないのだから、力は伸びないでしょう。

だから、テストというのはある意味見え見えで、たとえばテスト範囲の脚注の熟語は全部でいくつあるか知っているか。25個。そこから出すよと言うと、生徒はその25個を一所懸命覚えます。その中で何割か歩留まりがあったら、英語の力は伸びますよね。だから、私は、今、半分はそのやり方で、出すところは限定します。「この本文から前置詞の穴埋め問題を出しますから、前置詞をじっくり覚えてきて、そうしたら英語の力がつくよ。」などと言うと、一所懸命覚えてきますから解ける。気持ちもいいし、英語も少しは伸びる。たぶんこれがいいだろうと思っています。

ただ、残りの半分は、実は学校ではこれが一番大事なことなのだけれども、勉強させ、復習させるために仕掛けをする、ということがあるのではないかと思っています。

23.無意識に英語が出てくることを目標に

最初は頭で考えながらだけれども、練習していくと、それが瞬間的にできるようになる。なんとなくやっていて、なんとなくできるようにならないんじゃないかなと思います。目標は意味を考えたら、無意識に英語が口に出てくる状態です。そのためには、なんとなくやっているよりも、たぶんまずしっかりと構造を理解し、意味を考え、練習することによって瞬間的に身体が動くようになるのではないか。これはスポーツも同じで、卓球のフォアハンドなんていうのは、最初は足の置き方から、バックスイングの仕方から、全部、型を教えるわけですよ。振っているんだけれども、そのうちに球が来たらとっさにぱっとバックスイングに入れるようになりますよね。なんとなく打たせていたらできるようになるわけではないですね。それはすごい数を打たせていたら、なんとなくなるかもしれない。でも、そんな時間はないですね。だったら、しっかりと頭で理解する。説明は短時間で終える。いい説明というのは短いのです。短くて分かるのが一番いいのです。分かったことをしっかり練習させる。その練習の方針として、いろいろあるかもしれない。ただ、私自身としては、現状では理解したテキストを音読したり、キーワードを使って暗唱したりというのが、一番身につくのにいい手なのではないかなと思います。つまり、頭で分かったことが身体に染みこむまでの練習プロセスとして良いのではないか。

24.朗読の実習

教師はともすると、「声を出せよ」とか何とか言うんですけど、言うだけで生徒がやるのだったら苦労しないんですね。だから、言うだけではやらないという前提で、どうやったらやるようになるかっていうふうに仕掛けをつくっていかなければいけないんじゃないかと思っています。

上手な子は、授業時間の短い練習のなかでできるんですよ。「はい、誰かできる人」って言ったら、得意な子は手を挙げます。そういう子は、どんどん伸ばして、「じゃあ、おまえやってくれ」と。さっとやってきます。「うまいなあ。じゃあ、皆も、これぐらい目指して家でやってきてね。次、発表してもらうよ」って、みんなに練習してきてもらって、発表と。

そのあともおまけが付いていて、さっき配った1と4の裏返しになっているのがありますね。それを出させて、「はい、じゃあ、こっち出して」と言って、いまの状態で練習。発表だけだと練習してこない生徒がいるかもしれないし、全員練習させるのです。「はい、じゃあ、キーワードを見て、ここにいま言った英語を書きます」。いま暗唱したはずの英語。書き終わったら、「はい、じゃあ、自己採点」と言うと、反転しながら見るんです。

これは私のアイデアだけじゃなくて、ELEC同友会のライティング部長の松井さんに教えてもらったんです。こうやってやると、生徒は無理やりでも一文を覚えないと自己採点できません。

こういうふうにやるんだぞと百ぺん言うよりも、こういうふうにしてあげれば、生徒はやらざるを得ません。彼らは「しつこい」とか、「生徒を信用していない」とか言うんです。しかし、やはり教科書なんて易しいよと思っている生徒でも、それが身につくように、しっかりと練習するというモードになっていくんじゃないかなと思います。

英語の教員って、芸は身を助けると思うんですよ。私は子どものころにピアノを習っていて、バンドをやっていたということが、どれだけ授業のなかで助けになっているか分かりません。しょっちゅう、キーボードを持って行って歌を歌ったりします。

生徒に英語の歌を歌わせるときって、一気にメロディーに乗せるっていうのは、至難の業なので、最初はメロディーはつけずにリズムだけを意識してラップのように言わせます。 “above us only sky”とか、“no hell below us”とか、“it's easy if you try”とか、そのようにやらないと、メロディーなんかとても乗れません。まずは拍に乗せて、まず乗ってみる。そうじゃないと、2番目なんか “Imagine there's no countries it isn't hard to do nothing to kill or die for and no religion too”、すごく難しいでしょう。

このところは、“Imagine there's no countries it isn't hard to do nothing to kill or die for and no religion too”、生徒に私はどう言うかというと、“re”は前にくっつける。“an nore ligion too”のつもりで読むと、リズムが出るのね、なんて言って、組みを変えちゃうと、意外と乗れますね。

これはよくやる手なんですよ。生徒は、“I'm Kate.”というのはうまく言えます。“I'm Kate, repeat.”と言えば、“I'm Kate.”。ところが、“I'm Amanda.”と言うと、途端に声が出ない。何が難しいかというと、たとえば一語で“Amanda”というのは言えても、それを全体のリズムで言うとうまくいかない。そういうときは単純で、「あい間、万田」のように区切りを変えたリズムでいきましょう。「あい間、万田」、英語の“I'm Amanda.”ができた。こんなものなんです。

せっかく母語を持っているわけだから、母語をうまく活用してリズム感を見つけさせて、あとはちょっと音を磨くっていうやつですね。意外と発音も上手になるんじゃないかなと思います。

我々も道半ばでなかなかうまくいかないんですけども、教員自身がたぶんそうやって、ちょっとでも自分の英語を上達させようと思って日々、この単語はこうやって言ってみよう、この文はこうやって言ったらうまく言えるかなあなんて、努力をしていることの一部を生徒に伝えてあげれば、「あっ、これはこうやったらうまく」「ああ、上手にできたね。じゃあ、やってごらん」なんて言ったら、どんどん生徒は上手になっていくような気がします。(講演終了)

一覧へ戻る

ページの先頭へ戻る

学校法人 立教学院
〒171-0021 東京都豊島区西池袋3-34-1 TEL:03-3985-2202

Copyright © Rikkyo Gakuin. All Rights Reserved.